奈良弁護士会

憲法改正手続に関する与党案・民主党案に対する意見書

第1 はじめに

自民・公明の与党が、2006年5月26日、衆議院に提出した「日本国憲法の改正手続に関する法律案」(以下、「与党案」という。)及び、民主党が、同日、衆議院に提出した「日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案」(以下、「民主党案」という。)には、看過しがたい重大な問題点があることから、以下のとおり、当会はこれらの問題点を指摘し意見を述べる。

第2 国民投票運動に対する規制について

  1. 国民投票運動の自由を確保することの重要性
    憲法改正国民投票は、国の根本規範である憲法について主権者たる国民の意思を直接的に問うものであり、国民が自由に意見表明を行い、また多様な意見に接し議論する機会が保障されることが強く要請される。
    したがって、国民が国民投票に関して行う表現活動の自由が最大限に保障されなければならないことはいうまでもない。
  2. 公務員、教育者に対する運動規制について
    この点、民主党案は、投票運動について投票事務関係者、中央選挙管理会の委員等の国民投票運動を禁止しているのみであるが、与党案はこれに加え、裁判官、検察官、公安委員会の委員等、選挙に直接関与しない公務員についてまで全面的に禁止し、さらにその他の公務員についても、地位を利用しての国民投票運動を禁止し、違反者に対する罰則規定を設けている。
    しかし、前述のように公務員といえども主権者たる国民の一人としてその表現の自由は最大限に保障されるべきである。また、そもそも公職選挙において公務員の選挙活動の自由が制約される根拠は、公務員が特定の候補者と結びつくことで行政の中立性が害されるおそれがあるためであるところ、特定の候補者の当選を目的とするわけではなく、将来の国の在り方を問う国民投票において、公職選挙と同様の制約根拠が当てはまらないことは明らかである。投票事務関係者等のように特に国民投票についての公正さを要求される立場にある者はやむを得ないとしても、その他の公務員についてまで広い制約を課すことは、合理的な根拠を欠き、必要最小限度の制約を超えるものとして許されないというべきである。
    また、公務員以外の教育者についても、その地位を利用した国民投票運動が罰則付で禁止されている。この点、「地位利用」という概念は非常に不明確であり罪刑法定主義に反するおそれが高く、またそのような不明確な構成要件による制約が行われた場合、憲法改正案の是非について最も議論を尽くす必要があるときに、憲法の歴史や意味、現憲法の理念等国民にとって重要な知識を教授するための教育活動が著しく萎縮し、国民にとっても憲法について学習をする機会を奪われるという大きな不利益をもたらすことになるのであるから、係る制約も許されるべきではない。
  3. 組織的多数人買収・利害誘導罪について
    与党案は、組織により、多数の投票人に対し買収や利害誘導等を行った者に対する罰則規定を設け、これを禁止している。
    しかし、特定の候補者等を当選させることを目的とする公職選挙と異なり、憲法改正国民投票に関していかなる形での買収、利害誘導等がなされうるのか、現実的な制約の必要性が明らかではない。
    さらに、同罪の構成要件は、「公私の職務の供与をし」、や「社寺、学校、会社、組合、市町村等に対する用水、小作、債権、寄付その他特殊の直接利害関係等を利用して憲法改正等に対する賛成又は反対の投票をしないことに影響を与えるに足りる誘導をしたとき」などと極めて不明確なものになっており、罪刑法定主義に反するおそれが高いとともに、憲法改正に関する表現活動に著しい萎縮効果をもたらすのであるから、この点からも容認しがたい規制であるといわざるを得ない。

第3 国民投票に関する広報活動について

  1. 公平かつ自由な広報活動の重要性
    前述のように、国民投票においては、国民が公平かつ多様な意見に接し、十分に議論を尽くした上で形成した意思を、正確に反映させることが重要となる。そのためには、公的機関や政党などの団体が行う広報活動の公平性が確保されるとともに、幅広い国民が自由かつ容易に意見表明を行えるよう国が積極的に意見表明の機会を保障することも必要であり、これらの要請に応えうる制度が設けられることが重要となる。
  2. 広報協議会について
    与党案においては「憲法改正案広報協議会」を、民主党案においては「国民投票広報協議会」を設置し、これらの広報協議会により憲法改正案の広報に関する事務を行わせるものとしている。
    この点、資金力の大小等による広報活動の格差を是正し、国民に公平かつ正確な情報を提供すべきとの観点から、上記のような広報協議会を設置することには一定の評価をなし得る。
    しかし、両案ともに、広報協議会の委員は各会派の所属議員数の比率により、各会派に割り当て選任するものとされており、憲法改正案は各議院の議員の3分の2以上の賛成で発議されるものとなっている以上、必然的に賛成派の議員が広報協議会の委員の3分の2以上の多数を占めることとなる。そして、このような構成の広報協議会が広報を行う場合、賛成案の論拠がより多く広報され、反対案の広報が不利に扱われるのではないかという点が当然に危惧される。思うに、硬性憲法の趣旨より、憲法改正案の発議は各議院の議員の3分の2以上の賛成で発議されるものとされているが、いったん発議された改正案を広報する場面においては、前述のように賛成、反対の多様な意見を公平に国民に提供するべきという異なった趣旨が要請される。とすれば、改正案に賛成した多数派が必然的に広報協議会の委員の多数を占めるような制度にする理由はないのであり、むしろこのような規定は広報の公平性を確保すべきという趣旨に反するものである。
    この点、両案ともに反対の評決を行った議員の所属する会派から委員が選任されないこととなるときは、各議院において、当該会派にも委員を割り当て選任するようできる限り配慮するとともに、広報協議会がその事務を行うにあたって、憲法改正案等に関する記載、説明等については客観的かつ中立的に行うとともに、憲法改正案に対する賛成意見及び反対意見の記載、発言等については公正かつ平等に扱うものとすると規定する。しかし、かかる規定は公平性に配慮すべき努力義務を課したものに過ぎず、かかる規定のみでは広報の公平性を担保しうるとはいえない。したがって、賛否の意見が公平に広報されるよう、賛成派、反対派の各議員から同数の委員が選任されるように明記するなど広報協議会の委員の構成自体について見直しが行われるべきである。この点の改善がなされない場合には、公平かつ正確な情報を国民に提供するという広報協議会のメリットが没却されるのであるから、この場合、当会としては広報協議会の設置自体に反対せざるを得ない。
    なお、広報協議会の運営の公正を確保するために、有識者などの外部委員を選任することも検討されるべきである。
  3. ラジオ、テレビ、新聞を利用した意見放送、意見広告について
    両案は、「政党等」が、広報協議会の定めるところにより、無償で、ラジオ、テレビ、新聞を利用しての意見放送、意見広告を行いうる旨規定している
    この点、ここでいう「政党等」とは、一人以上の衆議院議員又は参議院議員が所属する政党その他の政治団体で、広報協議会に届け出たものをいうとされており、国会議員のいない政治団体や一般の市民が利用できないものとされている。
    しかし、前述したように、国民投票においては幅広い国民が自由かつ容易に意見表明を行いうる機会を保障することが重要であるから、政党等以外の団体、市民による広報活動を直ちに対象から外してしまうことは妥当でなく、これらの者も無償でマスメディアを利用した広報活動を行いうるようにする工夫も積極的に検討されるべきである。
    また、両案では、放送時間数や広告の寸法、回数は「当該政党等に所属する衆議院議員及び参議院議員の数を踏まえて」広報協議会が定めるものとされている。
    しかし、前述のように、憲法改正案は各議院の議員の3分の2以上の賛成で発議される以上、発議の時点で必然的に多数を占める賛成派の政党等がマスメディアを利用しての意見放送、意見広告を多く行いうることになると思われるが、このような結果は国民に公平な情報を提供するという広報協議会の趣旨に反し、マスメディアを利用した広報の影響力の大きさに鑑みても、国民の自由な意思形成に不当な影響を与えるおそれすらあるものといえる。
    したがって、マスメディアを利用した意見放送、意見広告については、賛成、反対の各意見が同等の時間、回数で取り扱われるようにすべきである。
  4. 投票日直前の放送規制について
    両案は、投票日7日前に当たる日から、何人も、上記の政党等による放送を除いてテレビ、ラジオによる放送を行うことも一切禁止している。
    しかし、投票直前は、国民の関心が高まり、活発な議論を行うための情報を十分に提供すべき要請が最も強まる時期であり、このような重要な時期に一律に放送を禁止することは、表現の自由に対する必要最小限度の制約を逸脱するものであり、容認できない。したがって、このような規定についても根本的な見直しが必要である。
    なお、確かに、テレビ、ラジオといったマスメディアの影響力の大きさに鑑み、国民に不当な影響を与えることを防止し、またテレビ広告等に多額の費用がかかるところから生じる資金力による表現活動の格差を是正する必要があることは一概に否定できず、マスメディアを利用しての意見放送、意見広告に一定のルールを設ける必要性はあるであろう。しかし、そのような必要性を考慮しても、投票日直前の7日間において一律禁止を加えることに合理性はなく、表現の自由に対する必要最小限度の制約にとどまるよう慎重なルール作りを行っていくべきである。

第4 発議後投票までの期間について

両案は、国民投票法案の発議後、投票までの期間を、発議の日から60日以降180日以内と規定している。
しかし、そもそも憲法改正国民投票は、国の根本規範である憲法を変更するか否かという極めて重要な事項を主権者たる国民に問うものであり、その判断の前提として、投票までに、国民が多様な情報、意見に接し、議論を尽くしながら、一時的な世論、時勢に流されることのないように熟慮し、冷静に改正案の当否を判断しうる十分な期間が設けられることが必要である。そして、国民が上記の広報協議会やマスメディアを利用した政党等の放送、広告など多数派意見に偏るおそれのある情報以外の多様な意見に接し、また自らが多様な意見の発信者になり議論を深めていくためには、国民自身が集会を開催し、出版やビラの配布をするなどの表現活動を行い、また一人一人の国民がそこに参加していくために現実に必要な期間を確保することが必要となる。そして、そのための期間としては、少なくとも発議後投票までに1年以上が必要であると考える。

この点、投票まであまり長期の期間を空けてしまうことは国民の投票運動を弛緩させてしまうのではとの指摘もあろうが、憲法改正国民投票が、国民が将来の国の在り方を決める重要な判断を行うものである以上、一度議論が落ち着き、冷却期間が置かれた後に投票が行われるような制度を設けることこそが硬性憲法の趣旨にも合致するものと考える。

なお、スペイン憲法においては、一定の重要事項の改正にあたっては、国会の3分の2の多数により、総選挙をはさんで二度の発議がなされ、その後国民投票が行われることとなっており、スウェーデン憲法においても、国会による改正の発議が、総選挙をはさんで二度行われなければならず、しかも最初の発議がなされた後総選挙が行われるまでに、少なくとも9ヶ月が経過することが求められている。このように、他国においても国民が憲法改正についての判断を行うまでに熟慮できる制度が設けられていることは、硬性憲法である日本国憲法の改正手続を定めるに際しても十分に参考にすべきである。

第5 最低投票率の定めについて

両案とも、最低投票率に関する定めは規定しておらず、憲法にも規定はない。
しかし、憲法改正に、各議院の総議員の3分の2以上による賛成で国会が発議し、さらに国民投票による過半数の承認を要するとした憲法96条の趣旨は、国民主権原理に基づき、国の最高法規たる憲法の改正を、最終的に主権者たる国民の意思に委ねるべきであるとしたこと、憲法改正に厳格な手続を要求し、憲法の定める基本価値秩序を立法者等による安易な変更から守ろうとしたことにある。また、憲法改正は、現に国の最高法規として機能している憲法を積極的に変更しようとする行為である。とすれば、憲法改正が正当化されるためには、少なからぬ国民の意思が憲法改正を承認したと認められ、また変更を承認する国民の意思が明確かつ積極的に表明されたものといえなければならない。

この点、最低投票率を定めない場合、投票率が低い場合にはごく一部の国民の賛成に基づき憲法改正が行われることになるが、これでは上記の憲法96条の趣旨が没却されるおそれがある。したがって、国民投票においては、最低投票率の規定を設けるべきであり、むしろかかる規定を設けることが96条の趣旨から要請されていると解すべきである。

では、国民投票を有効とする最低投票率をどのように定めるべきかであるが、日本弁護士連合会は、少なくとも全投票権者の3分の2以上の最低投票率を定めるべきとしている。この点、当会でも、上記のような憲法96条の趣旨に鑑み、憲法改正を正当化しうるためには国民の3分の1以上の積極的な賛成を必要とすべきとの観点から、同様に考える。

第6 国民投票の投票方式及び発議方式について

両案は、「投票は、国民投票に係る憲法改正案ごとに、一人一票に限る」とし、「憲法改正原案の発議に当たっては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする」としている。
この点、前述の憲法96条の趣旨からすれば、主権者たる国民の意思が正確に反映されたといえてはじめて改正は正当化されるものといえる。

しかし、両案の「内容において関連する事項」は非常に曖昧な概念であり、事実上いかなる改正案を一括とするかの判断が改正案の発議者に過ぎない国会の広い裁量に委ねられてしまうおそれがある。そして、そのような判断の下一括で発議された事項について、国民は賛成、反対の一つの意思を示すことしかできないため、「関連する事項」相互について意見が異なる場合、国民はその意思を正確に反映させることができない。

したがって、国民の意思をできる限り正確に反映させるべきとの観点から、あくまで投票方式については、原則として条文ごと(場合によっては項目ごと)の個別投票方式とすることを明記すべきである。複数条項を一括して投票することは、一括投票をしなければ条項同士が矛盾し整合性を欠くことが明らかな場合に限定されなければならない。

第7 憲法96条の「その過半数の賛成」の意義について

憲法96条の「その過半数の賛成」の意義について、与党案は、賛成票が「有効投票の総数の2分の1」を超えた場合とするのに対し、民主党案は、賛成票が「投票総数の2分の1」を超えた場合としている。

この点、上記のように憲法96条の趣旨からは、憲法改正のためには国民の明確かつ積極的な賛成の意思が表明されることが必要である。とすれば、白票や無効票を投じたものは、投票行動をしたうえで憲法改正に積極的に賛成の意思表示をしなかったことは明らかであるから、これらの者は改正に賛成しかなかったものとして扱うべきであり、憲法96条の「その過半数の賛成」の意義については、少なくとも賛成投票数が投票総数の2分の1を超える場合と解するべきである。

第8 投票用紙の記載方法について

与党案は、憲法改正案に賛成するときは○の記号を、反対するときは×の記号を投票人が自署しなければならないとし、民主党案は、憲法改正案に賛成するときは○の記号を、反対するときは何も記載しないものとする。

この点、前述のように、与党案では、憲法96条の「その過半数の賛成」の意義を、賛成票が「有効投票の総数の2分の1」を超えた場合とするが、その上で上記のような記載方法をとると、投票所に赴いて白票を投じた者の票を無効票と扱い、これにより少なくなった有効投票数をもとに憲法改正の賛否を問うことになり、前述した憲法96条の趣旨を没却するおそれがある。また、同条の趣旨に照らせば、改正案に賛成する者の積極的な意思の確認が行えれば十分であることから、改正に賛成する者のみが○を記載する方法が妥当である。

第9 結論

以上のように、与党案、民主党案のいずれの案にも容認しがたい重大な問題点が残されており、国民主権原理の発現たる憲法改正国民投票に、国民の自由かつ公正な意思を、十分かつ正確に反映させ得る手続を実現するものとは言い難いことから、当会は与党案及び民主党案の成立に反対する。


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